今年のテーマは「私が出来ること、私が取り組むこと」です。
<プログラム>
◆挨拶
ふくしまの話を聞こうは、東京に住む一個人が事故後の現実と取り組むにあたって、福島に住み続け、現実を見据え、日常を取り戻そうとする人の等身大の話を聞きたいとい願ってお願いしたことから生まれた集まりです。個人でも行動できる人たちが集まって協力するというスタイルで4回目を迎えることができましたことを深く感謝します。
人は支え合って社会を作って生きていくものですが、支え合う家族と社会があれば、個人が一人でできることは非常に多く、個々人が一人一人で取り組むことが現実を変えていくのだと毎年実感させられます。
今年は「私が出来ること、私が取り組むこと」をテーマとさせていただきました。
今年の講演会で自分ができることを探り、できることをはじめるきっかけになればなによりです。
(代表 ナカイサヤカ)
◆第一部 講演
『事故から4年:変わったこと、変わらぬこと -半澤 隆宏(福島県伊達市 市民生活部 理事兼放射能対策政策監)-』
こんなに放射線は下がったのに…食品の検査も徹底されているのに…
放射線に関する知識・知見も、いろんな意味で広がり、正しい理解が「安全」と「安心」につながってきました。
それなのに帰還が見えてこない自主避難者がいる、福島産の食品には手を出さない人がいる。
あの原発事故から4年…何が変わり、何が変わらないのか…。
そして行政の役割は何だったのか、これからは何をすべきなのか。
皆さんといっしょに考えてみたいと思います。
昭和56年4月 月舘町役場に勤務
平成18年1月 市町村合併により「伊達市」となる 地域創造課・課長補佐兼地域振興係長
平成21年4月 市立図書館長
平成22年4月 市民生活部市民協働課長
平成23年5月 市民生活部次長(地域振興担当)
平成23年10月 放射能対策政策監付次長(除染対策担当)を兼務
平成25年4月 市民生活部理事兼放射能対策政策監、現在に至る
『福島で子育てをするということ -大槻真由美(福島県伊達市市民)-』
放射能問題は『日常』において、まったく意識することのないものでした。
震災後、さまざまな心の葛藤の中から得た『6人家族揃っての生活こそ幸福の原点である』と、
自己結論までの道のり、心境についてお話したいと思います。
1976年生まれ。福島県いわき市在住。
福島県伊達市霊山町(りょうぜんまち)住民。石田小学校(PTA)。
青森県弘前市生まれ。
学生、社会人時代を仙台で過ごし、8年前、結婚を機に福島県伊達市霊山町へ嫁ぐ。
祖父母、夫、2人の息子の6人家族。
『避難生活の中で起業すること -菅野クニ(合同会社ニコニコ菅野農園 飯舘村住民)』
東電福島第一原発事故から1か月以上経ってからの避難指示。
避難するまでには2か月以上かかった中で、家族の生きがいを守るためにとった行動は何か。
数年先の帰村の時を視野に入れ避難先で起業したのは何故?
その意味とそこから得たものをお話ししたいと思います。
1951年 福島県郡山市で生まれる
1973年 国立病院附属看護学校卒業し看護師資格を得て国立病院に4年間勤務
1978年 福島県立保健衛生学院保健学科卒業し、保健師資格を得て福島県内の保健所に勤務。
2006年 福島県職員を退職、自営業に転じる。
2011年 東京電力福島第一原発事故により、飯舘村は計画的避難区域に指定されて福島市内の借上げ住宅に家族で避難生活。
2012年 内閣府復興支援型地域社会雇用創造事業新たな一歩プロジェクト「起業プランコンペ」に応募し採択される。その成果として、 「合同会社ニコニコ菅野農園」を設立する。
2011年10月~ 飯舘村教育委員に就任
2012年10月~ 福島県立医大に保健師として非常勤勤務をして、原発避難者の支援にもあたっている。
現在帰村後の飯舘村の復興も視野に入れて、活動中。
◆第二部 パネルディスカッション
『復興:私が出来ること、私が取り組むこと』
司会:安東量子
1976年生まれ。福島県いわき市在住。
放射線を測り、知り、対処しながら、コミュニティでの生活再建を目指す住民活動を行っている。
「エートス」は、チェルノブイリ事故10年後のベラルーシで始められた、ETHOSプロジェクトから。
パネリスト
・半澤 隆宏
・大槻真由美
・菅野クニ
・ナカイサヤカ
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